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デスカフェについて

「デスカフェ」は、見知らぬ人がお茶やケーキと共に死について語り合う場とされている。Wikipediaによると、2004年にスイスの社会学者で人類学者のBernard Crettazが始めたそうだ。
デスカフェのルールは次の3つ。
1. 一人一人が自由に自分の考えを表現できるようにする
2. 特定の結論を出そうとしないようにする
3. カウンセリングや悩み相談になり過ぎないようにする

死を語るなんて縁起でもない、悪趣味だ、などと思う方もいるかもしれない。身近な人との死別は辛い、悲しい体験で、思い出したくもないとの思いも当然の気持ちだろう。しかし、人間は意味を求める生き物である。自分の存在、環境、この世に起こる様々なことに意味を求める。意味は答えである。何故、自分なのか?何故自分はこんな辛い体験をしなければならなかったのか?何故は人は死ぬのか?死の意味は何か?問いに答えを求める。死について語ることはその答えになんとか迫りたいという気持ちの現れであり、だから人々はデスカフェに集まる。哲学の場も、宗教の場も、デスカフェと一緒だ。人間は、古来から死についての思いを哲学や宗教として語り、説明し、苦しみ、戦い、諦め、納得し、喜んで、生きてきた。

デスカフェでは「特定の結論を出そうとしないようにする」とある。特定の結論は、参加者がまさに求めているものだ。そういう参加者がせっかく集まっているのに、その結論は出さないようにする。何のために集まっているのだろう。それぞれの死に対する問いの答えは、他人からこれこれが答えですと言って提供されるものではないと思う。何千年、何万年に渡って繰り返し繰り返し人類が問うてきた問いの答えは、同じ様な問いに見えるが同じではない。それぞれが違う問いであり、その問いの意味はその人にしか分からない。従って、その答えはその人が持っている。しかも、その答えはそう簡単には見つからない。グリーフも同じだ。わかちあいの会に集まる人々は、それぞれの問いを持っている。その答えを求め続けて、もがき苦しんでいる。勇気を振り絞ってわかちあいの会に必死で辿り着く。しかし、わかちあいの会が答えを出してくれるわけではない。出せるわけがない。涙ながらに辛い気持ちを吐露されているのを伺っていると、何とかしてあげたくなるのは人として当然の気持ちである。しかし、”何とかしてあげて”スッキリするのは、してあげた側の方で、された側の人が本当に自分の答えを見つけたかというとそうではない。それがデスカフェの「特定の結論を出さない」ということの意味だと思う。答えはその人の中にある。
デスカフェに参加してみると、皆、死についての答えを探しているのが分かる。それだけ。それだけであるが、そこに意味がある。死について語り合おう。生きていくために。

仙台でもデスカフェが開催されています。庄子昌利さんが立ち上げました。グリ研も応援しています。新型コロナウィルスの関係で、現在はオンラインでの開催ですが、そこで死を語り合う事ができます。結論は出ないし、悩みは解決しないかもしれないが、死を語り合う事には意味があります。多くの方にご参加いただければと思っています。デスカフェについてのホームページはこちらです。
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プロフィール

griefcaremiyagi

Author:griefcaremiyagi
2004年暮れから活動を始め、2006年から「わかちあいの会』を行なっている団体です。2013年にグリーフケアの実践と普及・啓発を事業の柱としてNPO法人化しました。立ち上げの時から関わって頂いているあしなが育英会の仙台レインボーハウスに事務局を置き、宮城、山形で活動しています。グリーフケアの担い手養成講座には、東北6県、関東からも参加されています。