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わかちあいの会で語る事の意味

グリ研がグリーフケアの実践事業として行っている「わかちあいの会」は、大切な人、かけがえのない人を亡くされた方々が、その思いを安心して語れる場を目指しています。それ以上でもそれ以下でもありません。ただ、安心して語れる場を提供し続ける、これがグリ研の願いです。わかちあいの会の場に来られて、安心して語ることができたかどうかは、参加した方でないと分かりません。大切な人・かけがえのない人との辛い別れ。己の身を切られる様な想い。胴体のど真ん中に大きな穴がぽっかりと空いた様な虚しく、寂しい、悲しい気持ち。後悔、自責の念、怒り、見捨てられた様な思い。なかなか表現できない安堵感・開放感。死別した方との関係性はひとそれぞれで、そのグリーフもひとそれぞれです。
その想いを語る。いやいや、人前でそんな気持ちを語るなんてとても出来ない。死んだ人の話をしても嫌な想いをさせてしまうだけだし。話をしたってどうせ誰もわかってくれない。第一、泣き言を行っていたなんて言いふらされたら、恥ずかしいし。弱い人だと思われ、傷つけられる。グリーフを語ることを阻む思いは、社会の無理解、偏見、一種の差別意識、死別体験に向き合わなくてはならないという不安感など世間一般のいわゆる常識的な考え方。地域を支配する雰囲気。

人は起こったことを意味付けながら生きている。不条理と思っても起こってしまったことに対して意味付けをすることができるから、その事を受け入れられる。意味付けは必ずしも語ることを必須とはしていないが、自分一人では頭の中で堂々巡りするばかりで意味付け出来ないこと、どうしても一つのストーリーしか思いつかず、そのストーリーによる意味づけにはどう考えても納得できないことがある。そんな時に、自らの体験を口に出して語ることで、自分自身でストーリーを整理し直すことが出来たり、他の人のストーリーを聞いて自分のストーリーが唯一のものではないことに気づき、自分として納得ができるストーリーが見えてくることがある。グリ研のわかちあいの会で語ることでその様な心の動きが化学反応の様に湧き起こる場合がある。化学反応は、何か決まったレシピがあって、こうすれば良いという様なノウハウがあるわけではない。まさに、その日、その時に集まった参加者の誰かがたまたま語ったことが、化学反応を起こすのだ。グリ研は化学反応が起こるかもしれない場所を設定するだけ。
わかちあいの会で語る事の意味を、そんなふうに考えています。グリ研は、人間が持っている自らを語る力、ストーリーを変えていく力を信じ、いつも見守らせて頂いています。
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プロフィール

griefcaremiyagi

Author:griefcaremiyagi
2004年暮れから活動を始め、2006年から「わかちあいの会』を行なっている団体です。2013年にグリーフケアの実践と普及・啓発を事業の柱としてNPO法人化しました。立ち上げの時から関わって頂いているあしなが育英会の仙台レインボーハウスに事務局を置き、宮城、山形で活動しています。グリーフケアの担い手養成講座には、東北6県、関東からも参加されています。