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グリーフケアの視点から見た医療

日本医師会の終末期医療のガイドラインにグリーフケアが取り上げられていることから書いた前回のブログ『緩和医療の中でのグリーフケア』の続きです。
 グリーフケアはWHOが1990年に提唱した遺族ケアの部分がグリーフケアと捉えられると思いますが、医療の枠組みには一切組み込まれないまま現在に至っています。Kids Hurt Too HawaiiのCynthia Whiteさんは講演で「喪失に対する反応がグリーフ。喪失とは変化のこと。」と言っています。グリ研では、死別という喪失にたいするグリーフのわかちあいの会をやっていますが、必ずしもグリーフは死別だけじゃない。色々な喪失に反応してグリーフが起こる。考えてみれば、医療の現場は変化の連続であり、その現場にいる患者さんは喪失感を抱いているはずです。多くは、病気になったんだから当然と思って、その喪失を飲み込んで治療に励んだり、その変化に適応していると思われますが、グリーフを抱えて辛い思いをしている患者さんは多くいるはずです。

 患者さんがグリーフを抱えて、一人で対処しきれていないかもしれないと意識すること、それが「グリーフケアの意識」です。無理にそれを患者さんに押しつける必要はありませんが、「辛い。」と言われたときには的確に反応できるように意識を持っていることが重要です。図にグリーフケアの意識を持って患者さんに関わることを表現しました。それは、緩和医療の中では、スピリチュアルペインに対するケアと重なる部分が大きいと思いますが、現実問題として医療者はスピリチュアルペインへの対応に二の足を踏んでいる人が多いのではないでしょうか?「辛い。」あるいは、「死にたい。」と言われると精神症状ではないかと精神科に紹介する場合もあるでしょうし、そもそも答えのないことを問われても戸惑ってしまうと思います。その方が抱えているグリーフから出た言葉ではないかと意識して関わると、余計な薬を処方されることも少なくなると思いますし、患者さんとの関係性も違う次元に進むことになると思います。

 そして、残念ながら患者が亡くなった後は、遺族ケアと呼ばれる三角の部分につながっていきます(前回の記事参照)が、三角形で次第に無くなっていくのがグリーフケアではないと思います。グリーフは無くなりません。グリーフケアはグリーフを無くすることが目標ではありません。なぜなら、大切なあの人は亡くなってしまい、二度と戻ってくることはないからです。グリーフケアは三角で終わらずにずっと続いていいんです。わかちあいの会には、何年も経過しても、亡くなった人のことを語り涙を流す方がいらっしゃいます。時間が経過しても、あの人に会いたい気持ちは同じです。しかし、その涙は、悲しみは、辛さは、変化します。そろそろ自分もそちらに行くから、もうすぐ会えるかなと思い始めて、異なる気持ちが出てきたりします。でも、悲しいものは悲しい。グリーフはそんな感じだと思います。その人の存在が心の中にあると納得できれば、グリーフが雲散霧消してしまうわけではありません。グリーフケアの図では三角から先があることを表現しました。
 医療は、病気を治して、命を救うだけではありません。人間の死亡率は100%です。グリーフケアの視点からは、医療のどの現場でも、グリーフケアの意識を持って関わることが大事なことだと思います。そして、最後に付け加えると、医療者も変化にさらされ続けています。医療者のグリーフケアも必要です。

グリーフケアから見たがん治療
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プロフィール

griefcaremiyagi

Author:griefcaremiyagi
2004年暮れから活動を始め、2006年から「わかちあいの会』を行なっている団体です。2013年にグリーフケアの実践と普及・啓発を事業の柱としてNPO法人化しました。立ち上げの時から関わって頂いているあしなが育英会の仙台レインボーハウスに事務局を置き、宮城、山形で活動しています。グリーフケアの担い手養成講座には、東北6県、関東からも参加されています。