fc2ブログ

記事一覧

コロナ禍に思う事

 コロナの第5波は過ぎ去りましたが、これまで多くの方々がコロナでお亡くなりになりました。また、この期間にお亡くなりになった方々は、コロナが原因である無しに関わらず、ご家族の面会だけじゃなく、臨終の際も、葬儀の際も、火葬の際も誰も近づけない様な状況であった訳で、その死を受け止められない様な状況にいらっしゃる方々多いのではないかと危惧しております。多くの場合、家族葬のみ行うのが精一杯で、従来の弔いが行われていないのが現状かと思います。
 心理学者のやまだようこさんは、「喪失の語り』の中で、動物は呼吸を止め、動かなくなり、硬直してゆくだけである。人は、そのプロセスを「死」と名付け、理解し、意味付けようとしてきた、と書いています。動物も死を恐れ、避けようとする感覚はあるでしょうが、死を予見し不安を感じる事があるのかどうか?意味づけをする動物である人間だからこそ、死についての意味づけをあれこれ行い、死を想ってはそれを恐れ、不安になり、時に精神の安定も失ってしまうのだと思います。
 死を意味づける意味で弔いはとても重要だと思うのですが、それが行われていない。あしなが育英会の西田正弘氏とお話しする機会があり、彼は、コロナ禍で十分出来なかった弔いをすべき時に来ているのでは?とお話しされていました。まさにその通りだと思います。弔いは宗教者の仕事です。死を宗教の視点から意味づけ、様々な儀式を行い、遺された人々と対話することで、人々に死を受け止められるものになる様にする仕事です。宗教者の奮起に期待したいと思うと共に、自分もグリーフを抱えた人を支える事ができるなら、是非、支えて行きたいと思う、今日この頃です。
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

griefcaremiyagi

Author:griefcaremiyagi
2004年暮れから活動を始め、2006年から「わかちあいの会』を行なっている団体です。2013年にグリーフケアの実践と普及・啓発を事業の柱としてNPO法人化しました。立ち上げの時から関わって頂いているあしなが育英会の仙台レインボーハウスに事務局を置き、宮城、山形で活動しています。グリーフケアの担い手養成講座には、東北6県、関東からも参加されています。